2006年05月10日

ロハス

さてさて、久しぶりの更新ということで、何を書こうか。

倉吉にはおしゃれカフェが増えている。

今回上映会のチラシ配りのため、若者が集まる場所を回った。するとその中におしゃれカフェが10件近くあったのだ。
店員は例外なく若い女の子で、東京でいうなら下北にいるような、髪の毛をてっぺんで団子にしているような女の子だ。
建物は木造が主で、暖かみのあるハンドメイドな造りが多かった。
スローフード、スローライフ、ロハス。
というやつか。
糞喰らえ!
そんなものをいちいちトレンドにするんじゃねえやい!と声も荒げたくなる。
いや、やはり文句はよくない。久しぶりの更新なのだし。
しかし、じじいの集まる純喫茶は影を潜め、地元に根付き地元の人の憩いの場だった喫茶店をさびれさせて何がロハスか。と言いたい。
ニーメンはなく、タバコも吸えない庭の窓になんのセールスポイントが残っていようか。
やはり文句になってしまうようなので、そんなおしゃれロハスカフェにもいい点があったとつけくわえておこう。
倉吉のロハスカフェは若者の客が少ない。代わりと言っては何だが、ばばあ連中が多い。このことは、倉吉の消費の中心は若者ではなく、やはりばばあ達だということを物語っているのだろうか。ロハスな場は一瞬にして公民館に姿を変える。経営者はこんなはずでは…、と思っているのだろう。それはそれでいい気味だが。
若者が集まらないもうひとつの理由は、倉吉の若者は、まだまだヤンキーが多いということだ。きっと、多分、おそらくは。
ヤンキーというのはおしゃれなものに恐怖する、しり込みする性質を持つ。彼らのアイデンティティーは反おしゃれで成り立っている。しかしそれは屈折していて、じつはおしゃれなもの、都会的なものにあこがれるがあまり、しかしそうはなれない反動が彼らをヤンキーたらしめている。だから、ロハスカフェのように、あまりにも素直に、都会的なものを受け入れている場所には、近づきたくても近づけず、ローソン→スーパーヒーロー→ガストのゴールデンコースをたどることになるのだろう。したがって、ロハスカフェには若者が少ない。
誤解してほしくないのだが、僕はヤンキーの文句を書いているつもりではない。むしろロハスカフェにいることをステイタスとしている野郎より、ヤンキーのほうを愛している。
さらにフォローすれば、倉吉のロハスカフェは経営者の思惑に反して、おばちゃん支持率が高いことも好ましい。だから、東京のこういったお店に感じる、あの鼻につく排他的な雰囲気もほとんどない。
結局は、どの店も今回の上映会のチラシを快く置いてくれたので、とてもありがたかった。やっぱり、店員の女の子たちはかわいかった。
なんだ丸くおさめやがってと思われるかもしれない。まあいい。ただ、気になるのは、若者集客のために置いたチラシが、本来の効果を果たさず、上映会が団塊エイジの人々の憩いの場にならないか、というのがいちばんの心配である。
posted by カフニ at 23:44| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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